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(宗教法人 妙法山 阿弥陀寺監督 / 管理責任者 阿弥陀寺法師 谷 出流)
| 所在地 | 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字井関字荷坂616番地 |
| 連絡先(管理事務所) | TEL 0735−55−0212 FAX 0735−55−0900 |
| 経営主体 | (宗)阿弥陀寺 |
| 最寄駅 | JR紀勢本線那智駅/紀伊勝浦駅(特急停車駅) |
| 宗旨・宗派 | 一切不問 |
| 総区画数 | 1073区画 |
| 墓域面積 | 4193u |
| 設備施設 | 管理事務所、休憩所、駐車場、納骨堂(一時預かり) |
熊野交通バス(那智山行き・妙法山行き)に乗車、井関駐在所前にて下車。
JR那智勝浦駅前で国道42号線と別れ、那智山方面に約4km。妙法山と相対する小高い丘の上にある。新宮市からのバイパスも完成間近になり、東海自動車道の熊野迄の工事も行われています。大阪方面からは、阪和自動車道、海難湯浅御坊道路を経て近畿自動車道紀勢線の計画も進み益々近くなっています。
熊野とは奥深い処、隈るとも云い、神々の住む神秘性のある所として古代より尊ばれてきました。
日本書紀の神代巻一書に、イザナギノミコト火神を生みたまう時、灼かれて神去りましき故紀伊国熊野の
有馬村に葬りしまつる――とあり、イザナギノミコトが熊野に葬られたという記事があるのは、
古代の人々により熊野は死者の国であり、死後の世界(根の国)と信じられていたからです。
同じく日本書紀の一書に、スサノオノミコト熊成峯(くまなりのたけ)に居りまして遂に根の国に入りましき――
また、スクナヒコナノミコト行きて熊野の御碕(けさき)に戻りて遂に常世の国にいでましぬ――というくだりでは、常世の国即ち不老不死の国ということになっています。
このように熊野は、古代より死者の国、不老不死の国として信仰されていたのです。
仁徳天皇(313〜399)の御世に印度から裸形上人が一行6人と共に熊野浦に漂着しました。
そして熊野の各地を巡歴し那智の大滝に於いて観世音を感得したのです。
その後伝教、弘法・智証、等先哲がこの地に霊魂を打ちこみ、天台、真言の教義を信ずる人達により熊野十二社権現としての形が充実しました。
歴朝の尊信も篤くなり、本宮町の熊野本宮大社、新宮市の熊野速玉大社、勝浦町の那智大社を熊野三山と称し、本宮は阿弥陀、新宮は薬師、那智は観音として、現世と未来の二世にわたる信仰の対象となりました。
また、日本第一大霊験所根本熊野三所権現として、神仏一体を表現する修験道場として崇敬厚い霊場となっています。
907年(平安時代)宇多上皇の「御抖曽行脚」に始まる「熊野行幸」は1281年の亀山上皇まで百数十回にも及びました。
その後、鎌倉、室町時代に入って仏教、修験道の隆盛と共に、上皇、女院、武将や庶民の参拝が熊野信仰を定着させました。
そして再び江戸時代に盛んとなり”伊勢へ七度、熊野に三度、愛宕さんへは月参り”と謡われたように”蟻の熊野詣”とか
”蟻のわたり”といってはやされ、熊野詣は今では想像を絶する盛況でありました。
ふだらく霊園の名前の由来は補陀落浄土(ふだらくじょうど)の「ふだらく」から取られたもので、
平安時代には修行僧や信心深い人々が、観音菩薩が治める海の彼方にある平安の地、補陀落浄土を目指して
日本の南方、或いは当方に向かい海岸線から船を漕ぎ出した「補陀落渡海」という故事がありました。
「補陀落渡海」は個人の心の平安を願って行われるだけに留まらず、病気治癒の為、また古代の人々を襲った様々な天災、厄災を鎮める為の解決法としての役割も持っていました。
私達は、ふだらく霊園を皆様にとって新しい世界に漕ぎ出す為の出発点として意識して頂きたいと想いこの名称を付けました。
霊園内は那智山の麓の緑に囲まれた穏やかな佇まいを見せています。
区画は全区南向きに配置し、日当たりも良く、観音菩薩の功徳をあまねく皆様が享受できますように意図しました。
管理責任者として宗教法人妙法山阿弥陀寺様の管理下にありますが、
無宗派、キリスト教、その他の宗教を信仰されている方でも公共の福祉に反しない限り利用可能です。
年に2回宗旨宗派を超え当霊園に祭祀されている御霊を慰める為に供養祭を行っています。
また、管理事務所におきましては永代使用権利証の発行の他、埋葬(納骨)、改葬の諸手続き等の代行業務も致します。
墓域の管理においても霊園内の環境の保全・美化に努めると共に、遠方に御住まいの御客様に代わり祥月命日の上げ花や、お墓の清掃、草取り等の御用命も承ります。
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