和歌山県の那智勝浦町は、和歌山県の東海岸の山を背に太平洋に面した港町です。
北隣の新宮市は佐藤春夫、中上健二等の文人を輩出し、お燈祭りが有名です。
熊野の地の持つ独特の神秘性は彼等のイマジネーションの原点として、その心に焼きついた心象風景は
南には古代から鯨と共に生活を営んで来た太地町(たいちちょう)は古式捕鯨の歴史があり、
鯨の博物館や現在でも鯨の肉を食べられる数少ない土地でもあります。
那智勝浦町を含め、熊野の地は温泉に恵まれ、気候も温暖なことにより夏場は海水浴場に賑わいます。
日本神話でも重要な意味を持ち、那智大社に祭られるヤタノカラスの伝説や、古代の巡礼路「熊野古道」は
平安の昔天皇や貴族のみならず修験者の修行路としても機能していました。
江戸時代には徳川御三家の乃一つ「紀州藩」として八代将軍吉宗公を輩出するなど古代より近世にかけて
時代につれて様々に姿を変え、様々な顔を見せ成長してきた和歌山県、そして熊野の地は1999年の「熊野体験博」によって
那智駅前にはふだらく渡海で有名な白華山補陀洛山寺(ふだらくさんじ)があり、
那智の滝には那智山青岸渡寺、那智大社、その上にそびえる妙法山には「火生三昧(かしょうざんまい)」の
火定炉跡や一つ鐘の縁起で知られる「無間(むげん)の鐘」のある妙法山阿弥陀寺があり、当霊園を管理します。
妙法山阿弥陀寺は「亡者の熊野詣」で知られており、今日でも同寺への納骨、納髪と
死者への水向供養が盛んです。
文武天皇の時代、紀元703年、蓮寂上人が妙法蓮華経を記した経文を山頂に埋め、
釈迦牟尼佛を安置した事から妙法山と名づけられ、
紀元815年、弘法大師空海が一堂を建立し阿弥陀如来像を本尊とした事から阿弥陀寺が出来たとされます。
その頃は妙法山の奥の院から標高965.7mの大雲取山をこえて
熊野本宮に至る山路が熊野路であり、死出の山路とも呼ばれました。
『熊野路を ものうき旅とおもうなよ 死出の山路で 思い知らせん(御詠歌)』
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